カートアングルのデビュー前

学生時代からレスリングで活躍し、後に総合格闘技で活躍したマーク・ケアーやマーク・コールマン、ダン・スバーン、シルベスター・ターカイにも勝利している。アトランタオリンピック前に首を故障しながらも金メダルの獲得。しかし、決勝の相手がアメリカと関係の悪いイラン出身で、決して相手に勝ち切ったとは言えない内容から地元贔屓の判定も囁かれている。これを契機に現役を引退。

CMに出演するなどのほか、地元ピッツバーグでスポーツキャスターとして活動していたのだそうだ。しかし長年スポーツ・エリートとして生きてきたアングルはこの生活に飽き、自らプロレスラーへの転向を計画する。一度ECWにゲスト出演したことがあるが、団体の雰囲気に気分を害したため、以降は出演無し。

第一回のIWGPリーグ

前田の凱旋後、勢いに乗る彼が一躍スターダムに・・・・ もし平成以降の新日なら、そういうストーリーも考えられた事だろう。

しかし、当時は若手がどんどん上にいける環境ではなかった。

今の様な番狂わせは起きにくい状況。格付けがきっちり決まっていたのだ。

ビッグ・ジョンスタッド辺りには勝たせても良かった気はするが。リングアウト勝ちとかなら大した問題ではない気がするし。
それもまずければ、フェンスアウトの反則勝ち、というのでも良い。

この辺の星の流れが今一よく分からない点である。

ドラゴン

藤波は1981年10月にヘビー級転向のためジュニア王座を返上。翌1982年1月より「飛龍十番勝負」が始まる。ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジェシー・ベンチュラらと闘うも、「飛龍十番勝負」は中途で終わることになった。

しかしながら、ヘビー級の証明と題して 海外遠征武者修行中にヘビー級のタイトルマッチの切符を手に入れ、同年8月30日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでジノ・ブリットを破りWWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。

ヘビー級転向後、初のチャンピオンベルトを手土産に堂々の凱旋帰国を果たし、防衛戦の初戦では、マスクド・スーパースターを逆さ押さえ込みで破り ヘビー級のチャンピオンとして更にステップアップさせた。

この年の10月、長州力と抗争が始まり、さらに長州率いる維新軍との抗争で新日本に黄金期をもたらす。長州との一連のシングルマッチは「名勝負数え歌」と呼ばれ1983年4月3日のWWFインターナショナル・ヘビー級タイトルマッチはその年のプロレス大賞ベストバウトを獲得した。

名伯楽

プロレスにも名伯楽と呼ぶ人物は多い。

日本では、アニマル浜口もその一人だろう。

自らのジムから、小島聡、大谷晋二郎、大森隆男、小原道由、SUWA、本間朋晃といったメンバーを送り出している。

アニマル浜口ジム出身、という事が下地を造ったのだ。

主にアマレスや柔道といった格闘技の(経験者で)基盤がある人間はもちろんであるが、特に基盤が無い人間でも将来プロレスラーとしてデビューをしたいと志す人を対象に開設した、日本有数のプロレスラー(としての)養成施設である。指導者となる傍ら、自らも一から体を作りあげて、ボディビルの大会(ミスター東京・シニア部門)に出場し優勝した。出場するにあたり、100kg以上の体重を70kgまで落とした。

ボクサー等もよく引退後にジムを開くが、もう一度体を造りなおす人はそう多くないのではないか。

身を持った教えができる事が、A浜口の強みなのではないかと思う。

第1回MSGタッグ・リーグ戦

今考えると本当に豪華な組み合わせが多い。

MSGリーグのタッグ版だ。

参加チーム : アントニオ猪木&ボブ・バックランド組、ストロング小林&坂口征二組、藤波辰巳&木村健吾組、長州力&星野勘太郎組、ハルク・ホーガン&スタン・ハンセン組、アンドレ・ザ・ジャイアント&ザ・ハングマン組、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助組、オックス・ベーカー&ジョニー・パワーズ組、バッファロー・アレン&ウイリアムム・ルスカ組

決勝は、アントニオ猪木&ボブ・バックランド 対 ハルク・ホーガン&スタン・ハンセン

○猪木(逆さ押え込み、17分35秒)ホーガン●

という結果。

ドールマン

クリス・ドールマンは格闘王国オランダのカリスマ的存在。多くの門弟を抱える。オランダの格闘家には、酒場などでバウンサー(用心棒)を兼ねている選手も少なくないが、ドールマンはその顔役でもある。現役時代の得意技は、裸絞め・レッグロック。「赤鬼」の異名で呼ばれていた。

前田日明について、「前田は食っていくために危ないアルバイトをやるしかない、どんなに技量を磨いても披露の場がなく正当な尊敬を受けられない世界中の格闘家たちに誇りと希望を取り戻させてくれたんだ。これは前田でなければ出来なかったことだよ」と語っているのは非常に印象的だ。

その後の宮戸

宮戸優光は引退後、料理人を目指し、周富徳に弟子入りしていたという。

本格的だ。

流智美の仲介でルー・テーズに再会したことをきっかけにプロレスへの情熱が再燃し、1999年キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの一般会員制ジムU.W.F.スネークピットジャパンを設立し代表に就任した。ヘッドコーチにビル・ロビンソンを招聘し、2011年現在も井上学、鈴川真一、鈴木秀樹、定アキラら後進の指導にあたっている。

征矢学

西村、長州という因縁の二人両方を師匠とした征矢学。

ある意味、凄い事だと思います。

2007年4月11日、無我ワールド後楽園大会で対竹村豪氏でデビュー。当時の無我生え抜き第1号であり周囲からは“藤波二世”と呼ばれていた。 10月18日の後楽園大会では吉江豊と組み、ZERO1-MAXの佐々木義人&崔領二組を相手に敗れはしたが、大健闘を魅せる。試合後吉江は『今日の征矢を見て無我の未来が見えた』と語っていた。

藤波二世、とはかなり言い過ぎではなかっただろうか。

まず風貌からして無理がある様な(笑)。

トリオで組むと

新日の歴史上、凄いトリオ編成というのはいくつかあった。

まずはベイダー・ビガロ・ウィリアムス。

並んだだけで圧巻だ。

ベイダー・ビガロ・ノートン

というのもあった。これは第一回のG1クライマックス、決勝の前セミファイナルで実現した。