フレッドブラッシー

数々の伝説を遺したブラッシー。

1961年、ロサンゼルスでNAWA世界王者に認定される。1962年に力道山に敗れタイトルが日本に持ち込まれたと報道されたが、実際にはベルトの移動はなく、力道山は新たに設立された初代WWA認定世界ヘビー級チャンピオンとなる。4月にWWAタイトルに挑戦するため、日本プロレスに初来日。

このとき力道山、グレート東郷らとのタッグ戦でブラッシーの噛みつき口撃が炸裂、額から激しく血を滴らせるグレート東郷の姿をテレビで見た老婆がショック死したこともあるが、当のブラッシーは気にかける様子もなく「アメリカでは50 – 60人はショック死させた。」と言い放った。彼のヒールとしての嫌われようは半端ではなく、地元ロサンゼルスでは、幾度となくナイフを持ったファンに襲われ、硫酸をかけられたことすらあるという。投げつけられたゆで卵が眼に命中し、片方の視力はほとんど失われたともいわれる。