ビンス・マクマホン・シニア

日本との関係では、1960年代前半にアメリカ武者修行中のジャイアント馬場をトップレスラーに起用したほか、1970年代中盤以降はアントニオ猪木の新日本プロレスと提携しアンドレ・ザ・ジャイアント、ボブ・バックランド、ハルク・ホーガンなどの大物レスラーを新日本に送り込み、自らもたびたび来日した。

当時の新日本とWWFの関係は、新日本がシングル・タッグのリーグ戦(全日本のチャンピオン・カーニバルと世界最強タッグに相当)に「MSGシリーズ」「MSGタッグリーグ戦」と命名し、実権はともかく猪木の側近の新間寿がWWF会長の肩書きをもつ程であった。また、藤波辰巳を王者として久々にWWWF世界ジュニアヘビー級王座が復活し、藤波や初代タイガーマスクはWWFジュニア王者として新日本ジュニアヘビー級の黄金時代を築いた。1980年前後の新日本の豪華外人路線にとって、シニアとのパイプは欠かせないものであった。